別にと言わずどちらデーモン
わたしは死ぬというとき50%は笑顔
だったなとおもうとおもっていて、
それは、社会性か、脳、論理的にも
きっと、脳が2に分けやすい時点で
それがどれだけの割合か、鳥は、
電線に止まって、落ちることと、
留まっていることの50%を現在。
どちらでもないという視点
どちらかであるという視点は
実はあまり違いはなく、自分が
良く統率された主体を持っている自信が
恐らく100%に近い可能性で私を
笑顔から遠ざけるのです。
例えば、笑顔はいつでもカギとして
ヒトを介してマックスツールで発明
鏡であ、フィルターであ、自分であ、
といって、どんなに本当であれ、
ものすごい嘘であれ、ちょっと宇宙
とかに出ちゃったら出られちゃったら、
というよりも、早くの想像をして
しまえば、痛いの痛いのはできる限りで
宇宙まで行き、真っ暗闇の中で、
ブラックホールの近所で飛んでいけと、
言ってくれる人がいたなら、
その時、ありがとうと笑顔でいうと
きっと、そもそも、そんな必要が
なかったかもな。楽しいなと、
ヒトは活性化すると思ったばかりです。